日本人が考えなければならないダイバーシティ(多様性)な社会とは。世界と日本の違いを徹底比較。

世界に遅れをとる日本

2022年スイスのビジネススクールである国際経営開発研究所(IMD)が発表した「世界競争力ランキング」で日本は34位でした。かつて、1989年から1992年まで、日本の国際競争力は4年連続で世界第1位でしたが、その後日本の順位は低下の一途をたどっています。

国際ビジネスのなかでなぜ、日本が孤立し、存在感を喪失しなければならなかったか。1990年からの30年、インターネットの発展とともに爆発的なイノベーションが進行したことが大きく関係しています。

あっという間に世界中の人々がダイレクトにつながるという世界が生まれました。そして、この巨大なコミュニケーション環境下で、今までにない新たな価値観、文化が醸成されたのです。

さまざまなバックグランドをもった人間が、日々ユニークな発想やアイデアを持ち寄り、意見を闘わせています。一律ではなく多様性を受けれ入れ、それを尊重する組織こそ強いのです。

しかし、日本はもともと多様性や、そこから生まれる”型破り”を認めようとしない社会です。それは周囲に面倒を強いるものであり、失敗に終わった挑戦は恥として非難されてしまうことも少なくありません。これでは新しいイノベーションは生まれづらいでしょう。

ここからは、日本がかつての国際競争力を取り戻すためにはどう変わるべきなのか。ダイバーシティ経営について世界と日本を比べながら解説していきたいと思います。

ダイバーシティ経営とは

ダイバーシティとは日本語に訳すと「多様性」です。企業で、人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用すること。こうすることで、ビジネス環境の変化に柔軟、迅速に対応できると考えられています。

ダイバーシティー経営を進めるには次のステップが発生すると言われています。

①抵抗少数派が現れたときに多数派の人たちが抵抗を示す。違いを拒否する。
②同化少数派が多数派に同質化していく。多数派に認められるように努力する。
③多様性・尊重違いを尊重する。違いがあることを理解する。相互作用はまだ起こっていない。
④分離違いを経営に生かす段階。短期的・局所的に違いを成果につなげる。
⑤統合・包括
(インクルージョン)
長期的・恒久的に違う人同士が相互作用して新しい価値を生み出す。

ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)

ダイバーシティ&インクルージョン は「既存の知」と「別の異なった知」を組み合わせことで生まれるイノベーションを指します。次のように理解すると分かりやすいでしょう。

・ダイバーシティ=個々に持っている個性(価値)
・インクルージョン=個々が持っている個性を組み合わせて新しい価値を生み出すこと

日本に必要な真の多様性とは

日本に必要な真の多様性とはどのようなことでしょうか。積極的に移民の受け入れを行っているアメリカやドイツと比べてみましょう。

アメリカがもつ活力は「ダイバーシティ&インクルージョン」を基礎にした移民の国だからです。世界からさまざまな人が集まり、アメリカ人として定着し、多様なもののぶつかり合いをエネルギーにして新たなものを次々と生みだします。

ドイツでは企業が移民を受入れ、彼らは週に2日間だけ会社に来ればいいことになっています。残りの3日間は会社が学校に通わせています。

移民の人たちをできるだけ早く「ドイツ人」にしようとしているのです。それはなにも文化や生活習慣、宗教などのすべてをドイツ化しようというのではありません。ドイツで暮らす以上、ドイツの憲法を尊重し、ドイツ社会のルールに従って生活してほしいということです。

日本では、移民を受け入れるなら、徹底的に日本人化しようとします。生活習慣はもちろん、立ち振る舞いや言葉の微妙なニュアンスまで日本人であることを求めています。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざもあるように、人種や文化について全肯定か全否定かという極端なところがあります。それが国民性なのかもしれません。とにかく”みんな一緒”“みんな”同じ“が良いことだ、という感覚があります。

この高度グローバル化社会となった現代では過去の成功やピラミッド型のマネジメントスタイルにこだわっていては時代についていけません。

新しいものに出会い、学び、成長する姿勢が重要です。一方的に押し付けるのではなく、ただ相手に合わせるのでもない、その時の環境に合わせて柔軟につくり上げていく、これが真の多様性ではないでしょうか。

世界のトップ企業が行っていること

日本で効率よく生産的な組織とは「気心のしれた同じ日本人」と考えられがちではないでしょうか。これは間違いですし、むしろ逆です。多様性がなければ、新しいものは生まれず、進歩もありません。

アメリカでは、人種や民族、国籍、身体能力や性別、性的嗜好、学歴など、どのような点においても人と人を隔てたり、差別したりすることを許しません。

また、転職を重ねた人の、その行為を否定しません。転職よって得られた経験や知識・仕事観が求めている人材であれば転職を重ねることにも価値があるのです。

日本では終身雇用が前提になっているせいか、転職しながらキャリアを積むということを快くうけとめないという傾向があります。「石の上にも3年」などと言って、我慢することを美徳として、奨励します。

転職を重ねているからダメ、と決めつけてしまったら、多様な人材を雇用することはできないでしょう。

また、多様性に富み、創造性豊かな組織をつくるためには、平均的な能力の高さではなく、ある面で突出した才能や能力をもつメンバーを擁することも重要です。

もちろんそういう人ばかりでは、組織を運営することはできません。つまり、企業には2種類の人材が必要なのです。

一方は、積み上げた実績を確実に守り、さらに伸ばしていく“守り”の人です。もう一方は、誰もが思いつかなかったような斬新な発想や思い切ったチャレンジを通して、ゼロから1を生み出す新規事業創造の力も必要です。いわば”攻め”の人材です。こちらは多数派である必要はありません。もし多数派であったなら、組織の安定は図れないでしょう。

ただし、“攻め”のグループを“守り”のグループの下におかない方がよいでしょう。なぜならせっかく新製品のアイデアを出しても「利益が出ない」「上が認めない」といった声につぶされてしまいます。

新規開発に携わる組織は少数でも独立したグループであり「面白そうだ。やってみよう」と決断できる経営トップ直結であるべきです。

組織を安定させるだけでなく、突出した個性的な集団を組織し、かつそれを“お飾り”ではなく、きちんと機能するものとして擁する。これこそ、守りにも攻めにも強い組織づくりにつながるといえます。

まとめ

日本では学生時代より厳しい上下関係を教えられ、先輩の言うことは絶対、ルールをを破れば有無を言わさず処罰するといった文化が、まだまだ根強く残っているのではないでしょうか。

そのことによって、ルールに従い、リーダーの支持のもと、一致団結して行動できるといったすばらしい国民性が養われていることは間違いないでしょう。

しかし、裏を返せば、リーダーの意見に従っていればそれでよい。ルール外のことをやってはいけないといった、日本特有のタテ社会が生まれてしまい、個々の個性が失われてしまうことにも繋がります。

これでは高度グローバル化社会となった現代において世界に後れをとってしまうのは必然でしょう。

これからの日本社会は失われた30年を取り返すべく、多様な意見を尊重し、柔軟に対応していくことが必要ではないでしょうか。

日本人に必要な多様性については動画でも紹介していますのぜひご視聴ください。

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